虫そのものの話ではありませんが、この界隈でも、SNS上の投稿や、そこから発信されるブログ記事などで、人を煽るような言い回しや、相手を見下すような表現を見かけることがあり、以前から気になっていました。
そうした発信は、個人への言及にとどまらず、ときに販売された商品やショップそのものへの印象にも影響しうるように感じています。

私はハラスメント防止に関わる業務に携わってきましたが、その中で繰り返し見てきたのが、行為者側の

「そんなつもりはなかった」
「冗談のつもりだった」
「ただ指摘しただけだった」

という言葉です。
こうした説明は、職場に限らず、公開発信の場でもしばしば見られます。

けれども、問題になるかどうかは、発信した本人のつもりだけで決まるものではありません。
意見そのものは自由であっても、表現の仕方や繰り返し方、公開のされ方によっては、単なる反論ではなく、相手の尊厳や社会的評価を傷つける方向に働くことがあります。

もちろん、SNSやブログで意見を述べたり、批判したりすること自体が、直ちに問題になるわけではありません。
ただ、表現の内容や態様によっては、論点への異論を超えて、相手個人への攻撃や、周囲を巻き込んだ圧力として機能してしまうことがあります。

今回は、SNS上の投稿や、そこから派生したブログ記事なども含め、どのような言動が問題化しやすいのかを、一般論として整理してみたいと思います。
そのうえで後半では、私自身が実際に言われた言葉も挙げます。

ただし、ここで私の側から「これはアウト」「これはセーフ」と断定するつもりはありません。
先に挙げる観点を踏まえながら、それぞれがどのように見えるのかを、読んでくださる方に考えていただければと思っています。

SNSや公開発信で問題になりやすいのは、どのような言動か

SNS上の投稿やブログ記事などの公開発信では、内容そのものだけでなく、言い方や繰り返し方、公開のされ方によって、受け手への負荷は大きく変わります。

たとえば、問題になりやすいのは、次のような要素です。

  • 人格や能力そのものを下げる表現
  • 嘲笑やあてこすりを含む言い方
  • 繰り返し継続的に向けられる発信
  • 公開の場で相手を見せしめにするような扱い
  • 相手の信用や評判を下げる方向に働く言及
  • 私的情報や周辺情報を持ち出して圧力をかける行為

ここで大事なのは、問題になるかどうかが、単語ひとつだけで自動的に決まるわけではない、ということです。
同じ言葉でも、単発で使われたのか、繰り返し使われたのか。論点への指摘として使われたのか、人を下げるために使われたのか。そうした違いによって、受け止めは大きく変わります。

つまり、SNS上の投稿やブログ記事などの公開発信で見るべきなのは、

「何を言ったか」だけではなく、
「どういう言い方をしたか」
「どの場で言ったか」
「どのくらい繰り返したか」
「相手をどういう位置に置く表現になっていたか」

こうしたところまで含めて見る必要がある、ということです。

「反論」と「攻撃」は同じではない

意見の対立があること自体は、珍しいことではありません。
見解の違いを述べたり、根拠の不足を指摘したり、説明の矛盾を問うことまで封じるべきだと言いたいわけでもありません。

ただ、その場で起きていることが、本当に論点への反論なのか、それとも相手を貶める方向へずれているのかは、分けて考える必要があります。

たとえば、

「その説明には根拠の提示が必要だと思います」
「この点は、前の説明と整合していないように見えます」
「データや前提条件が示されないと判断しにくいです」

といった言い方は、基本的には論点に向いています。

一方で、

「理解していない」
「議論する資格がない」
「都合が悪いから逃げている」
「平気でそういうことを言える人だ」
「何度言っても分からない」

といった言い方になると、論点そのものよりも、相手の能力、人格、態度、資質を下げる方向に寄りやすくなります。

さらに、そこに
嘲笑、皮肉、見せしめ、引用による吊し上げ、繰り返しの圧力
が重なると、単発の厳しい意見ではなく、継続的な攻撃として見られやすくなります。

「そんなつもりはなかった」と言いにくくなるのはどんなときか

発信者が「そんなつもりではなかった」と言うこと自体は珍しくありません。
けれども、少なくとも次のような場合、その説明は苦しくなりやすいと思います。

1.内容への反論を超えて、人格や能力に踏み込んでいるとき

相手の主張ではなく、能力、理解力、立場、人格に踏み込む表現が含まれている場合です。
論点への異論ではなく、相手そのものを下げる機能が強くなります。
結果として、内容への反論ではなく、人物評価として受け取られやすくなります。

2.冗談や軽口だった、とは言いにくいとき

皮肉、当てこすり、あからさまな嘲笑が加わると、単なる説明ではなく、相手を小馬鹿にする作用を持ちやすくなります。
書いた側が軽く流したつもりでも、受け手や第三者には嘲笑として読まれます。
特に公開の場では、そのニュアンスが強調されて受け取られることがあります。

3.一度きりの意見表明だった、とは言いにくいとき

同じ相手に対して、繰り返し、継続的に、公開空間で投げ続けている場合です。
単発の発言と、反復される発言とでは、相手に与える負荷が違います。
積み重なることで、意見表明というより圧力として機能することがあります。

4.公開の場での圧力や見せしめになっているとき

相手に直接伝える必要を超えて、周囲に見せる形で嘲笑や人格評価を行っている場合です。
その場に第三者がいる状況では、受ける圧力や恥辱感は大きくなります。

特に引用リツイートのように、相手の発言を引きながら公開の場で評価を加える形式は、周囲に向けた発信であるぶん、本人に対する圧力や恥辱感を強めやすい面があります。

5.相手の信用や評判を傷つける方向に働くとき

相手の販売、仕事、説明力、誠実さ、人柄などに結びつく形で繰り返し言及されると、単なる意見の相違ではなく、社会的評価を下げる作用を持つことがあります。
その影響は、本人だけでなく、周囲や関係する対象にも及ぶことがあります。

個人だけでなく、販売された商品やショップへの影響もある

SNSやブログなどの公開発信で見落とされがちなのは、相手個人だけではありません。
その発信が、販売された商品やショップの信用にどのような影響を及ぼすのかという問題にも、目を向ける必要があります。

これは、購入者からの不満や問い合わせに限った話ではありません。
実物を見ていない第三者が、公開の場で価値や評価を下げるような言及をする場合もあります。そうした発信は、商品そのものの印象や、販売者に対する信用に影響を及ぼすことがあります。

また、本来であれば、先にショップ側や販売者へ事実確認を行う余地がある場面でも、それより前に公開の場で強い評価や否定的な印象が示されれば、その影響は当人にとどまりません。
公開の場で先に印象の強い言葉が流通してしまうと、販売された商品やショップそのものに対する不信感を広げるおそれもあります。

しかも、その後に補足や説明が加わったとしても、最初に広がった印象を十分に打ち消せるとは限りません。
だからこそ、SNSやブログなどの公開発信は、単に「自分の意見を述べただけ」で済むとは限らず、誰の信用にどう関わるのかまで含めて見なければならないのだと思います。

単語だけではなく、全体で見る必要がある

ここまで書いてきた通り、ある言葉が直ちに一律で黒か白か決まるわけではありません。

同じ言葉でも、単発で使われたのか、継続的に使われたのか。
非公開のやり取りなのか、公開の場なのか。
批判の対象が論点なのか、人なのか。
販売された商品やショップへの影響を伴う場面なのか。
そうした違いで、受け止めは変わります。

だからこそ、私はここで、個別の表現だけを切り取って断罪したいわけではありません。
むしろ大事なのは、

「自分が言われたらどう感じるか」
「第三者が見たとき、論点への反論として読めるか」
「その言い方は、相手を必要以上に傷つけたり、晒したりしていないか」
「確認より先に、印象だけを公開の場で流していないか」

そうした観点を持つことではないかと思っています。

ちなみに、私が実際に言われた言葉

以下は、SNS上の投稿や、そこから派生したブログ記事の中で、私自身が実際に言われた言葉の一部です。
中には、個人への言及にとどまらず、販売した商品への印象にも関わりうるものが含まれています。

  • 「ただの紫紺ニジイロを『ブルー』と称して売るのも指摘していいんですか!?」
  • 「時間ないから検証してませんが」↑ダメやんw
  • 「ここは読んでいて思わず吹き出しそうになりました。」
  • 「ご自身が議論するポジションに居ない事を自供してしまった」
  • 「こういう事を平気で言えちゃうものなのかと。」
  • 「ここでは日本語の話をしても不毛」
  • 「ツッコミどころ満載」
  • 「検証意欲を見せない懐疑主義者」
  • 「フラットアース論者、ID論者などが当てはまる」
  • 「教えてと言われて説明したのですが、もう結構だそうです」

ここでは、これらを私の側で「これはアウト」「これはグレー」と分類することはしません。

読んでくださる方には、

  • 人格や能力の否定に寄っていないか
  • 嘲笑や見せしめの要素がないか
  • 繰り返し継続的に向けられたものではないか
  • 公開の場で信用低下につながる性質を持っていないか
  • 論点への反論を超えて、人そのものを下げる働きをしていないか
  • 販売された商品への影響を伴う形になっていないか
  • 事実確認より先に、印象の強い評価が公開の場で流れていないか

といった観点から、それぞれの言葉がどのように見えるのかを考えていただければと思っています。

おわりに

SNSやブログなどの公開発信は、対面よりも言葉が強くなりやすく、相手の反応が見えにくい場です。
だからこそ、「そんなつもりではなかった」で済ませる前に、自分の言葉が実際にはどのような機能を持っていたのかを見直すことが大切だと思います。

反論や批判があってよいことと、人格を下げることが許されることは同じではありません。
問題提起と嘲笑、異論と見せしめ、説明と威圧は、似ているようでいて違います。

さらに、個人への言及に見える発信であっても、実際には販売された商品やショップ、周囲の人の信用にまで影響することがあります。
確認より先に印象が流通することの重さも含めて、公開発信のあり方は考え直されてよいのではないかと思います。

付記

実際に受けた精神的な負担は軽いものではなく、販売や信用への影響を感じる部分もあります。
本来、このように記録を整理しながら書くこと自体が、こちらにとっても負担を伴うものです。

それでも、これ以上、事実に反する情報の拡散や、人格を不当に貶めるような言動が繰り返される場合には、記録の整理を含め、必要な対応を検討せざるを得ません。
その点は、あらかじめ記しておきます。