正直に言うと、私はこれまで「標本」にあまり興味がありませんでした。

関心の中心にあったのは、いつも生体でした。
飼育環境による変化、成長の過程、光の当たり方や角度によって揺れ続ける色。

止まってしまったものより、変わり続けるものを見ていたかったのだと思います。

それでも瑠璃花を標本として残そうと思ったのには、いくつか理由があります。

「あめ色」と呼んでいた個体から始まった違和感

我が家には、前胸がいわゆる「あめ色」、上翅がグリーンに見える、グリーン系と呼んでいた個体がいました。

当時はそれ以上でもそれ以下でもなく、「そういう色合いの個体」として受け止めていました。

ところが、その系統から、明らかに「ブルー」と呼びたくなる個体が出現しました。

写真の工夫で青く見せたものではなく、光源や角度が変わっても確かに青として立ち上がってくる色。

そしてその色が、累代によって引き継がれていくことを確認したとき、関心は「色名」から少しずつ別の場所へ移っていきました。

色の名前ではなく、構造が気になり始めた

青か、緑か、紫か。

呼び方の問題より先に、もっと根本的な疑問が浮かびました。

この色は、どのような構造を持ち、なぜこのように見えているのか。

構造色という言葉でひとまとめにされますが、その中身は決して一様ではありません。
層の密度や配列、角度、そして観察条件による見え方の揺れ。

「引き継がれている」という事実が見えたことで、一時的な環境要因ではなく、構造そのものに何かがあるのではないか、と考えたくなりました。

生体とは別の形で、問いを残したいと思った

私は研究者ではありません。
顕微鏡を持っているわけでもなく、数値で証明できる立場でもありません。

それでも思ったのです。

いつか、ニジイロクワガタの構造色を本気で研究したいと思う人が現れたとき、「この個体を使ってください」と言える形で残しておきたい、と。

構造色は昆虫学の中だけで完結する話ではなく、物理や材料といった分野とも接点を持ち得ます。
誰が使うかは分からない。けれど、使える形で残しておくという選択肢は取っておきたい。

そのとき浮かんだのが、標本という方法でした。

単なる保存ではなく、観察に耐えうること。
記録として意味を持つこと。
そしてオブジェとしても成立すること。

それらを満たす形として、標本がいちばんしっくりきました。

もう一つの理由 ― 経年的な変化を見るために

標本にしようと決めた理由は、もう一つあります。

経年的な変化を見たい、ということです。

生体写真は便利です。ただ、どうしてもカメラや設定、時には無意識の補正を通した色になります。

記録として残ることと、その個体の色そのものを長い時間軸で追うことは、少し意味が違います。

標本であれば、同じ個体を同じ条件で、10年後、20年後にも観察できます。

色は変わるのか。
変わるとしたら、どこから、どのように。

それを確かめたいという、個人的な好奇心もあります。

それでも、迷いは残っている

ここまで書いておいてなんですが。

「本当に、そんな人が出てくるのだろうか」

そう思う気持ちが、今も消えたわけではありません。

今のクワガタ界隈で、構造色をテーマに個体差や累代まで含めて本気で研究しようとする人は、正直かなり少ないと思います。

もしかしたら、私が生きている間には誰も現れないかもしれない。

それでもいい、と思っています。

瑠璃花という名前で残すということ

瑠璃花は、完成された答えではありません。

むしろ、問いの途中にある存在です。

この色は何なのか。
なぜこう見えるのか。
どこまで引き継がれ、どこから揺れるのか。

その問いを、生体とは違うかたちで引き延ばすために、この個体を標本として残しました。

標本にしたから終わり、ではない。
標本にしたからこそ始まる観察もある。

いつか誰かが使うかどうかは分かりません。
けれど、使える形で残したという事実はここにあります。

それで十分だと、今は思っています。