― 不安・安心・物語としての「固定」 ―
ここまでの記事では、
- 青紋を「固定形質」と捉えることへの違和感
- ニジイロクワガタの色や光沢が、連続的な現象であること
- 「安定した起点」や「連続量」という見方
について整理してきました。
それでもなお、
多くの場面で、私たちはこう言いたくなります。
- この形質は固定している
- この血統は安定している
- もうブレないところまで来ている
今回は、
その「言いたくなる気持ち」そのものについて考えてみます。
「固定」という言葉がもたらす安心感
「固定」という言葉には、
- もう変わらない
- 予測できる
- 失敗しにくい
といった、
非常にわかりやすい安心感が含まれています。
ブリードや観察を続けていると、
- 次はどう出るのか
- 方向は合っているのか
- 積み重ねは無駄ではなかったのか
といった不安が、どうしても生まれます。
その不安に対して、
「固定できている」という言葉は、
短く、強く、気持ちを落ち着かせてくれます。
固定は「現象」ではなく「区切り」になることがある
ただし、ここで一度立ち止まってみます。
構造色や光沢のような連続的な現象において、
- どこからが固定なのか
- 何代続けば固定なのか
- どの程度揃えば固定なのか
これらを一意に決める明確な線は、実際にはありません。
それでも「固定」という言葉が使われるとき、
そこにはしばしば、
- ここまで積み上げた
- ここに到達した
という区切りとしての意味が含まれています。
つまり「固定」は、
現象そのものの説明というより、
理解や納得のために置かれる言葉として
使われる場面が少なくありません。
「まだ固定ではない」と言い続ける難しさ
一方で、
- まだ固定とは言えない
- 条件次第で変わる可能性がある
と言い続けることは、意外と負荷がかかります。
- 説明が長くなる
- 前提を共有しないと誤解されやすい
- 評価が定まりにくい
その結果、
「固定した」と一言でまとめたくなる。
これは怠慢というより、
不確かさを扱い続けることの難しさから生じる、
ごく自然な流れだと思います。
私が「固定」という言葉を使わない理由
私自身は、
- 青紋
- 前胸光沢
- 色味の深まり
といった現象について、
構造色という性質を踏まえると、
そもそも「固定できる対象」として
捉えていない、という立場にいます。
そのため、
あえて「固定」という言葉を避けている、
というよりも、
最初からその枠組みを前提にせず、
現象を見てきた
というほうが、実感に近い表現です。
変わることを前提に見る、という立場
構造色や光沢は、
- 揃うこともあれば
- ずれることもあり
- 想定外の振れ方をすることもある
そうした振る舞い自体を含めて、
観察対象として成立している現象だと考えています。
そのため、
- 言い切らない
- 決め打ちしない
- 変化の余地を残す
という姿勢は、
判断を先送りにしているというより、
現象に合わせた見方を選んでいる、という感覚です。
固定しないからこそ、見えてくるもの
「固定しない」立場に立つと、
- 微妙な差に気づきやすくなる
- 年ごとの違いをそのまま受け取れる
- 説明や整理を更新し続けられる
といった側面があります。
完成形を設定しないことで、
変化をノイズとして切り捨てずに済む。
私にとっては、
そのほうが観察として自然でした。
フェーズ2のまとめとして
フェーズ2では、
- 光沢や色を「連続量」として見ること
- 固定や呼び名が生むズレ
- それでも人が固定を求めてしまう心理
を整理してきました。
まとめるなら、
「固定」という言葉は、
現象そのものを説明するためというより、
不確かさにひとまず区切りをつけるために
使われやすい言葉なのかもしれません。
次のフェーズへ
次回は「◯◯の血が出た」という言い方を取り上げます。
便利で伝わりやすい一方で、意図せず「固定」や「遺伝様式の断定」に聞こえてしまうことがあります。
この言葉がなぜ誤解を生みやすいのかを、言葉の構造として整理します。
※補足として「累代を重ねれば色は固定できる」という考え方の記事にも追記しました。
